個人的な文学体験(前編)

 こんばんは。山田です。

 
 当然といえば当然ですが、新刊JP編集部には金井・田中をはじめ、読書が好きな人が多いです。もちろん僕も好きですし、川口…はよくわかりませんが、川口も多分好きです。

 
 ただ、元々僕はあまり読書が好きな方ではありませんでした。今日はなぜ僕が好んで読書をするようになったのかを書いてみようと思います。

 
 小学生の頃、僕は推理小説が好きで、江戸川乱歩の「怪人二十面相」シリーズや「怪盗ルパン」とか「シャーロック・ホームズ」などをよく読んでいました。
 
 それらには熱中できたしよかったんですけど、夏休みに“推理小説ばかりでなくて文学も読みなさい、ブンガクも!”と親に手渡された『しろばんば』はさっぱり理解できませんでした。

しろばんば (新潮文庫)

しろばんば (新潮文庫)

 
 当時は井上靖の名前も知りませんでしたし、“小説=推理小説”だと思っていたので、人が殺されたり美術品が盗まれたり、尾行したりしない本を小説と認識できなかったんです。

 
 “このつまらん本がこの世に存在する意味は何だろう?”みたいな疑問を持ちましたが、小学生の頭では答えが出なかったので、僕はとりあえずその悩みを放置しました。
 この瞬間に、僕の中で推理小説以外の本は“放置すべきもの”になったわけです。
 そして、一部の本(推理小説)を除き、本との接点を失ったまま僕は大学生になりました。
 

 その間、僕はずっと野球をしていました。
 野球をしている限りは本と触れ合う機会はなかったし、読みたくもなりませんでした。
 新聞も読んでいませんでしたし、中学高校で読んだ活字といったらそれこそ学校の教科書くらいです。

 
 さて、大学に入学する前後あたりから、僕はロック音楽に、特にパンクロックに興味を持ち始めました。
 僕は一浪して大学に入ったのですが、浪人生という受験敗者の属性とパンクはとても相性がよかった。

 同世代の若い連中の多くと同じように、パンクに僕は夢中になります。
 セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムドの“御三家”はもちろん、ストラングラーズ、ザ・ボーイズ、ダムド、バズコックスなどなど、とにかくよく聴きました。

 
 でも、そんなの麻疹みたいなものです。

 案の定、大学一年の夏には飽きてしまい、もっと熱くなれる音楽を求めてパンク全盛時より前の時代と後の時代のロックを漁り始めました。その過程でぶつかったのがドアーズや13th Floor Elevatorsのようなサイケデリック・ロックの一群であって、90年代初頭のグランジ・ムーブメントでした


 んで、これらのバンドの話を友達とするときにわかったようなことを言いたい一心で、僕は“レコードコレクターズ”をはじめとした音楽雑誌を読むようになりました。一方で、聴くだけにとどまらずバンド活動も始めていました。


 音楽雑誌を読んでいると、ドアーズを評する文章には必ずといっていいほど“文学”や“文学的”といった言葉が使われていました。また、ニルヴァーナのカート・コベインは影響を受けた作品に『裸のランチ』を挙げていました。

裸のランチ (河出文庫)

裸のランチ (河出文庫)

 彼らは当時の僕のヒーローであり、そんな彼らと“文学”が強く結びついているという事実には少なからずショックを受けました。

 
 僕にとっての“文学”とはあの『しろばんば』であり、『しろばんば』のような読み物を理解する感性を持っていないということは、ジム・モリスン(ドアーズ)やカート・コベインの感性を持たないことを意味していたからです。


 焦った僕は『ロッキン・オン』のコラムに“村上龍を語ることはロックを語ることと同義である”という一文を発見し、村上龍の『ラッフルズホテル』を読もうと決めました(村上龍が小説家だということもその時点では知りませんでしたが)。

ラッフルズホテル (集英社文庫)

ラッフルズホテル (集英社文庫)

 しかし、結果は『しろばんば』を読んだときと何ら変わりません。最後まで読むこともできませんでした。


 なんか読みにくい文章だなぁ、と思うばかりで、どこらへんがロックなのかもサッパリです。


 ただ、その時はまだ自分が文学音痴だということをそこまで深刻には考えませんでした。


 ロックと密接な関係にあると思われた“文学”に傾倒していくことには漠然とした憧れを持ってはいましたが、「文学ぅ?んなもん知らねーよ」という態度もまた“ロックンロール”的だと思えたからです。

 後編は明日書きます。