宗教を持たない国の作家はいかに書くべきか

自宅アパート前で転んで、着替えていたら遅刻してしまった。。

バスも来ないし・・・。

しかし、おかげで電車が空いていたので集中して読書することができました。

今日は『エリザベス・コステロ』(早川書房/J.M.クッツェ―)を読んで思ったことについて。

エリザベス・コステロ

エリザベス・コステロ

架空の女性老作家でオーストラリアに住んでいる・エリザベス・コステロが主人公です。

彼女は文学賞をもらってアメリカまで授賞式に出かけたり、講演会に呼ばれてスピーチをしたり、ラジオの取材をうけたりと、権威ある作家らしい生活をします。

ストーリーらしいストーリーがないので小説と呼んでいいのかはわからないのですが、考えさせられることは多かった。


■創作と宗教の関係

エリザベス・コステロは元々ヨーロッパにいたため、キリスト教の倫理観や概念が考えの根底にあります(そんなに厳格ではありませんが)。

で、ご存じのとおりヨーロッパもオーストラリアもメイン宗教はキリスト教です。

作家が自分の国の人々に向けて作品を書くものだと仮定すると、大部分の国民が共有している概念があるほうが、作家は作品を書きやすいということは間違いありません。


『生埋め』(サーテグ・ヘダーヤト/国書刊行会)はイスラム教なしでは存在しえないし『悪魔の詩』だってそう。

生埋め―ある狂人の手記より (文学の冒険)

生埋め―ある狂人の手記より (文学の冒険)

そういった意味で、ふとどきな言い方ですが宗教は創作の味方ですね。これは絵も彫刻も音楽も一緒だと思います。


■日本は…?

大部分の国民が共有している概念というのは、別に宗教である必要はありません。
村上龍が言う“近代化終了”前の日本における“貧困”や、懐古主義者が言う“人情”もそうです。


じゃあ、とりあえず今のところは貧困国ではない(ことになっている)今の日本にそういったものはないのかと思いきやそんなことはないと思います。


それが何かというのはわかりませんが、少なくとも“愛”は違うんじゃないかというのが個人的見解。


“愛”といえば鳩山首相(と原監督か。。)ですね。


鳩山首相が“友愛”と言うのは「“愛”は全世界共通だ」という考えがあってのことでしょう。


でも前述の“貧困”や“人情”が、大部分の国民が共有している概念でなくなったということは、“愛”を感じるまでの過程が崩壊したということだと思うんです。


だから“愛”は今、中身がなく空っぽなのでキーワード足りえない。


創作活動における、国民の共通概念探しに話を戻すと、人間が“愛”を感じるまでの過程にこそ、それが隠されているのではないか、というのが自分の考えです。


ただ、“愛”を感じるまでの過程を表現したいのだとしても、その舞台に“貧困”とかそれに伴う生活苦が再び使われるようになるのはごめんですね。『蟹工船』が流行ったりしたのでひそかに恐れていますけど。